2011年5月14日土曜日

いよいよ明日11時よりPFKイベント/熊本赤十字トークライブ

いよいよ明日5月15日11時より、長崎書店3階リトルスターホールでPray from KUMAMOTOのチャリティイベントを開催いたします。
明日は、地震発生当日、いち早く救護活動のために現地へ向かった熊本赤十字のスタッフの方々による講演会でスタート。私たち自身も、現地の真実を知ることで「これから先、私たちに何ができるのか」を考えるきっかけになりそうだと期待しています。そのほか、ライブやクリエイティブトークなど盛りだくさんの一日となりそうな明日。皆様もぜひ、足をお運びください。

以下、熊本赤十字様の活動について少しだけご紹介させていただきます。


3月11日14時46分18秒、M8.8の東北地方太平洋沖地震発生。
熊本赤十字病院ではすぐに管理要員・医師・看護師らに召集がかけられ、地震発生から7時間も経たない21時に第1班10名が、さらに24時には第2班13名が現地へ向けて緊急派遣されました。




地震後ということもあり、高速道路も徐行のみの制限がしかれているなか、ようやく先遣隊が目的地石巻にたどりついたのは出発から40時間が経過した13日午後のこと。
なんと、自衛隊よりも到着が早かったというから驚きです。実際に石巻赤十字病院に着いたとき、病院の周りは津波により著しく被災しており、「病院はまさにその波打ち際にあった。病院のすぐ目の前までが、すべて海水に浸かっている状態だった」といいます。







到着直後、石巻赤十字病院には約3000人もの被災者らが押し掛けており、赤十字の救護スタッフなのか被災者なのかの別もないほどの混沌とした状況。「まるで野戦病院のような」雰囲気の中で、熊本赤十字の要員たちは石巻赤十字病院をバックアップすべく現地のスタッフに代わり、医療活動を実施しました。






そこで第1班に次いで到着した第2班管理要員らにより、病院の駐車場内にテントが張られることとなりました。赤十字の管理要員とは、『何もない場所に医療活動のできる病院を立ち上げるための人材』のこと。災害の第一報から時間を負う毎に判明した現地の状況から、「少しでも早く救護活動を展開するため」第2班には、8名の管理要員が動員されていました。同班には、テント等で病院を立ち上げられる緊急対応ユニット(ERU)資機材とともに、“動く手術室”とも呼ばれる特殊医療救護車両のほか、クレーン車、ウイング車、フォークリフトなどの車両も出動。震災被害に加え、津波や火災といった二次災害のつづく現地で、緊急性の高い状況に対応する救護活動を展開できる体制がとられているのです。

熊本赤十字は、患者の広域搬送や応急用資機材の貸し出し、医療救護チームの派遣などに対応できる『災害拠点病院』(全国47病院が指定)。なかでも、国際救援に備えた各国赤十字社が整備し、日本国内に4つしかないERU(Emergency Response Unit=大規模災害発生に備えて整備する緊急出動可能な専門家チーム及び資機材)を備える病院のひとつです。熊本赤十字はこれに加え、ERUに改良を加えて日本国内でも活動可能な『熊本ERU』を別途備えており、国内の災害時に緊急出動できる体制をとっているのだそう。熊本赤十字のスタッフらは通常の勤務に加え、フォークリフトや大型免許を持っている人もいるなど、毎年これらの活動に備えた研修活動に励んでいます。そのため、今回の災害においても“自衛隊よりも早い”現地派遣が実現したのです。

このとき、第2班の管理要員として現地入りした勇川さんもその一人。新潟県中越沖地震やスマトラ沖地震の際にも派遣された経験を持つ人物です。勇川さんは今回の震災について、こう振り返ります。「これまでに派遣された被災地とはまた違った光景でした。地震による被害を受けた新潟よりは、スマトラ沖に近い光景だった。宮城はこれまでにも大きな地震が起こりやすい土地だったこともあり、かなりの地震対策がなされた家が多かったようです。私たちが現地に行った際も、真新しい家が多く、そのほとんどが崩れていなかった。今回の震災で大きかったのはやはり津波被害です。地震では崩壊を免れた家も、津波によってさらわれている。だから、波が届いているエリアの被災が著しかったのだと思います」。
「波の形に沿うように、何もない状態になっていた」という一帯。がれきやヘドロで埋まるなか、ようやく道が確保されているというような状況でした。津波におしやられ、立ち並ぶ家や店先につっこんでいる車、大破している車。


今回の震災に関するメディア情報などもまだ十分に入ってこないなかで決まった今回の派遣。最も大変だったのは、現地に向かう3~4日のなかで全体的な悲惨さが見えたときだったそう。一帯すべてが停電し、信号もなにもない真っ暗な現地。携帯も通じず、ようやく衛星電話で連絡を取り合うなど、安否情報の確認がとれたのは到着から3日を過ぎた頃でした。
度重なる余震、情報が入ってこないことへの恐怖など、常に恐怖と戦いながらの救護活動は想像を絶するもの。

第1班としていち早く派遣されていた山田先生はこう語ります。「出動が告げられて、集合までが1時間。行き先もまだわからぬまま、とにかく出動せよとのことで、21時には出発していました。福島はある程度の資材も足りている。岩手は雪の影響で到着が危ぶまれるかもしれない、そこで石巻に目的地が定められた。それもすべて、2日間の移動中に決まっていったものでした。3日目になってやっと、1分間だけでしたが、衛星電話で家族に電話ができた。通常の外科の仕事もあるなかで、私が担当していた患者さんを引き継いでくれる医師らの存在、本部からの指示など、すべてのバックアップ体制がなければ、私たちの現地での活動も実現しないものだったと思います」。







初動として行った石巻赤十字病院での医療活動に次いで、避難所で巡回診療を行い、さらに仮設診療所を設置して現地の開業医らのサポートを行うなど、状況に応じて活動を繰り広げた熊本赤十字。災害から2ヶ月で、支援物資や医療チームの派遣など、5月12日までに26班185名の救護要員を派遣してきました。石巻赤十字が通常の機能を取り戻し始めたことで5月7日には、診療所を撤収。今後は現地からの要請に応じて、継続的なサポート体制をとっていく予定だそうです。



【熊本赤十字/熊本ERUについて】
熊本赤十字は、患者の広域搬送や応急用資機材の貸し出し、医療救護チームの派遣などに対応できる『災害拠点病院』(全国47病院が指定)。なかでも、国際救援に備えた各国赤十字社が整備し、日本国内に4つしかないERU(Emergency Response Unit=大規模災害発生に備えて整備する緊急出動可能な専門家チーム及び資機材)を備える病院のひとつです。熊本赤十字はこれに加え、ERUに改良を加えて日本国内でも活動可能な『熊本ERU』を別途備えており、国内の災害時に緊急出動できる体制をとっているのだそう。熊本赤十字のスタッフらは通常の勤務に加え、フォークリフトや大型免許を持っている人もいるなど、毎年これらの活動に備えた研修活動に励んでいます。そのため、今回の災害においても“自衛隊よりも早い”現地派遣が実現したのです。






※写真提供/熊本赤十字
※文/PFK staff 木下真弓


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